「自立」について考えてみた。
日常は、普通だから良い。
今日はバレンタインデーですね。
とはいえ、私はいつもと変わらぬ日曜日を過ごしています。いつもと違うところを敢えていうならば、実家に帰省していました。
明日は仕事なので、今日中に下宿先へ戻らなければなりません。今はその道中の電車の中でこのブログを書いています。
コロナがもたらしたもの
新型コロナウイルスの影響で、特に東京の方々は帰省までも自粛している方が多いと聞きます。自分の身を守るのは勿論、家族の身を守ることにも繋がります。
しかし、もうかれこれ一年、終わりの見えない生活が続いており、溜まっているものもたくさんあると思います。
あるニュース番組で、コロナのリスクを考えて年末年始を東京で過ごした女子大生の特集を観ました。ただでさえ、コロナで大学の授業形式もガラリと変わり、ストレスが溜まる中、力強く生きている彼女の姿を見て心を打たれました。
親とテレビ電話を繋いで、思い思いの話をする。母親の方は彼女の声を聞くと涙を流していました。娘の声を聞けた喜び、そしてこのような状況下でも強く生きている彼女に「成長」を感じたのでしょうね。当たり前だったことが当たり前でなくなった、それにより人々は「自らの力で強く生きる」ということを覚えたのかもしれません。
自分も家族と離れて暮らしているが、両親はいつでも帰りを待っててくれている。それがいかに幸せなことかということ、それを心から噛み締めながら生きていかないといけない。
それと同時に自分の弱さも感じる。
帰省してタダ飯を食べて、くつろいで…。自分もまだまだ子供だな、と感じてしまうところが非常に情けない。
コロナウイルスは人々の生活を変えた。それと同時に「強く生きる」という使命を人々へ与えたのだと私は思います。まだまだ長い戦いは続きます。打ち勝ちましょう。普通の生活を取り戻すために…
「自」分で「立」つ
世の中生きていると、文句の一つや二つ言いたくなることは誰にだってあると思います。私もあります。でもそれを思うがままにぶちまける、それも悪いことではない。溜め込んだら自分が爆発するからね。でも、それを受け止める側はどうだろう。苦しいかな、しんどいかな。何でもかんでも吐き出して自分がスッキリするだけではただの「自己満」で終わってしまいますね。この絶妙なバランスが難しいな。
やっぱり大切なのは、「自分が強くなること」それに尽きますね。
家族と離れて暮らす。それだけでも十分に立派だけど、家族を支えて且つ「自分自身」も支えられるようになること、それが真の「自立」なのかなと私は思う。
自分の力で人生のステップを踏んで、育ててもらった家族への恩返しをして、これからできるであろう家族を育て上げていく、それが私の人生の目標だ。今はまだ何一つ達成できていない。
一歩一歩、歩みを進める。
明日からもがんばろう。