月と缶コーヒーと鶏天弁当 ~「働く」ということ~
いつもと少し違う一日
今日は久々に長めの残業をした。
ちょっとしたトラブルによるものだったが、残業代を稼げたと思えばまあまあ充実した一日だったと思っても良いだろう。
他部署の上司が缶コーヒーを買ってきてくれた。ガッツリ働いた後のコーヒーは思いの外美味しく、あっという間に飲み干してしまった。
恐らく単純に喉が渇いていたのだろう。
私の思う「働き方」
「働き方改革」とよく言われるが、お金を稼いでいる以上、必要な残業はしっかりとするべきだと思う。休むことも勿論必要だ。だが、人間らしい生活を送っている以上、力の限り働いて、お金を稼ぐ喜びだって感じてみたいものだ。
「働く」ことの意味って何だろうか。
「お金を稼ぐこと」と答える人もいれば、「人の役に立つこと」・・・他にも色々な答えがあると思う。「働く」ことの意味は無限大だ。
100人に聞いたら様々な答えが出てくるだろう。
働く「形態」
雇用形態も様々だ。
正社員、契約社員、派遣社員…私の職場にも色んな雇用形態の人がいる。
でも、仕事量は正直さほど差はない。(私の職場の場合だが)契約社員として働いている先輩がいるが、はっきり言って正社員の私よりも働いている。しかし、賞与は出ない。また時給制のため、我々のように固定給とはなっていない。
そうした差がある為、正直少し気の毒だ。
このように正社員のありがたみというものを時々感じることがある。
吃音と就職活動
私は吃音症という言語障害を抱えている。その為就職活動もかなり苦労した。いろんな企業を受ける中で苦労してとった内定も契約社員ばかりだった。しかし私は非正規がどうしても嫌だった。ちゃんと四年制大学を卒業している以上、正社員として社会人デビューしたかった。そして、就活を続けていく中で今の会社に出会った。その会社は、私の「中身」を見てくれた。
それまで受けた会社では、私の吃音の部分ばかりを見て、あまり能力的な部分を見てくれなかった。当時の私はそれが本当に悔しかった。
今思えば当然だ。会社は慈善事業ではない。能力こそが全てだ。業務の中でいかに結果を出せるか、それが重視される。
就活生だった私は甘かった。自分の理想ばかりを見て、全然客観視できていなかった。
客観視するということ
社会人になってもうすぐ2年。自分の能力、価値観が少しずつ見えてきた気がする。自分を客観視することがいかに大事かが分かる2年だった。今の自分の能力を見定め、そして先々の目標を決める。そして、それに向かって邁進する。人生はその繰り返しだ。
人はそうやって成長していくのかな。
来年こそは…
さて、もうすぐ3年目だ。
今年は何をしよう。資格取得、新たな分野の勉強、読書…そして何と言っても、
旅行がしたい。
そして、仲間と飲みに行きたい。
今年こそ叶えよう。
いつでもスタートダッシュを切れるように、しっかり準備をしなくては。
コンビニで買った鶏天弁当で活力をつけて、明日に備えてもう寝よう。
月を撮ってみたがあまり綺麗に写らなかった…。