歌野晶午の「ミステリー×恋愛」小説
これぞどんでん返し!
「どんでん返し」
ミステリー小説などでよく聞く言葉だ。
これから私が紹介する小説は、その「どんでん返し」を存分に楽しむことのできる一作だ。
葉桜の季節に君を想うということ
タイトルは少し長めだが、タイトルに似合わずこの作品は推理作家歌野晶午による、れっきとした「ミステリー小説」だ。
- 作者:歌野 晶午
- 発売日: 2007/05/10
- メディア: 文庫
以下、ネタバレあり↓
あらすじ
麻宮さくらとの出会い
主人公の名前は成瀬将虎。元私立探偵だ。ヒロインは麻宮さくらという女性だ。二人は駅のホームで偶然出会う。ある事情から自殺を図っていたさくらを成瀬が救出したところから二人の物語が始まる。麻宮さくらのミステリアスで、何か深い事情を抱えているような空気感が印象的だった。
蓬莱倶楽部の秘密
そんなある日、成瀬が通っているフィットネスクラブで知り合った久高愛子から悪質な霊感商法の調査を依頼される。元探偵の成瀬は愛子からの依頼を受け、妹の綾乃や同じフィットネスクラブのキヨシこと芹沢清らと共に本格的な調査に入っていくのである。成瀬は、殺害された愛子の祖父、久高隆一郎殺しを調査するため、悪徳会社「蓬莱倶楽部」を内偵することとなる。
成瀬将虎、ヤクザ探偵に
成瀬将虎、十九の夏。高校を卒業した彼は、明智探偵事務所という探偵事務所で働いていた。そこで彼は、就職して初めての探偵仕事をいただくことになる。その依頼人は、明智探偵事務所と同じビルに入っている八尋組の若頭補佐の山岸正武という男であった。そう、山岸は所謂ヤクザである。依頼内容は、敵対関係にある戸島組の内偵であった。八尋組の本間善行が殺されたのである。山岸はその犯人として戸島組の連中に目をつけているというのだ。依頼を受けた成瀬は、一人で戸島組へ入ることとなる。そこでまた不可解な事件が発生し、成瀬はヤクザとして働きながら、探偵としても事件を調査していくのであった。
千絵をたずねて・・・
ある日、成瀬は西麻布の焼き鳥屋で安さんこと安藤士郎という御年七十二歳の老人と酒を酌み交わしていた。そんな成瀬は安さんから、別れた妻と共に離れていった一人娘の千絵を探してほしいという依頼を受ける。聞き込み調査をして、千絵は名古屋にいることが判明した。千絵は名古屋で喫茶店を営んでいる母と共に暮らしており、まだ女子高生でいながらカウンターに立って、赤いドレスを身にまとって接客をしていたのだ。成瀬は安さんに事実を告げると、安さんは案の定ガッカリした。
それ以来、安さんは成瀬を誘ってくることは無く、一年が経って行ったのである。
読書中に抱いた謎
今、四つのエピソードのザックリとしたあらすじを紹介したが、どれも同じ主人公だが内容は異なる物語だ。何ならば、時系列もバラバラだ。一見どんな順番で物語が進んだのかよく分からない。私もこの本を読んだとき、正直よく分からなかった。そしてここから後半部分にかけて物語を読み進めるにつれて、それぞれのエピソードが繋がっていく。そして冒頭に登場したヒロインの麻宮さくらが各エピソードにどのように関わっていくのか、そこも楽しんでみて欲しい。さらにラストには大きな「どんでん返し」が待っている。今まで読み進めていたことが大きく覆るシーンが現れるので、きっと読者は驚くことだろう。因みに私も驚いた。
「時系列」が鍵を握る!?
この小説の大きなポイントとなるのは「時系列」であると私は考える。先述の通り、この物語は複数のエピソードが無茶苦茶な時系列で描かれている為、一見どの順番でストーリーが繋がるのかよく分からない。しかし、この「ストーリーの順番」こそが最後に大きなサプライズを巻き起こしてくれるのだ。一体どんな結末が待っているのか、是非一読してみてはいかがだろうか。
「ミステリー」×「恋愛」の融合
私は、ミステリー小説が好きだ。中でも本作のような「どんでん返し」系のミステリーは読んでいてとてもスッキリする。どんでん返し系のミステリーは以前このブログで紹介した折原一の「倒錯のロンド」や、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」などを読んだことがあるが、今回の「葉桜の季節に君を想うということ」はミステリーに加え、2人の恋愛模様まで描かれた、意外とありそうで無いようなタイプのミステリーではないかと私は思う。「ミステリー」と「恋愛」を混合させた作品はなかなか無いと思うのでこの不思議な感覚を是非皆さんにも味わってもらいたい。
最後の一文まで目が離せない。
- 作者:伊坂 幸太郎
- 発売日: 2006/12/21
- メディア: 文庫
成瀬将虎と麻宮さくら、2人が抱く意外な過去の秘密に注目である。(←これはヒントになってしまうかも…)
「知ってるワイフ」からのメッセージ
最終回を視聴した。
とても美しいハッピーエンドだった。
2021年3月18日に放送された木曜劇場「知ってるワイフ」の最終回だ。
録画予約して、今日遅ればせながら視聴することができた。OA直後は視聴率や感想に関する記事がいくつか出ていたが、それらは敢えて見ないようにして、新鮮な気持ちでドラマを観させていただいた。
先日、このブログでも書かせていただいた通り、今日はその感想を綴らせていただこうと思う。
以下、ネタバレあり↓
最終回のあらすじ
元春、3度目の正直
澪と沙也佳と別れ、3度目のタイムスリップをした元春。もう澪とも沙也佳とも会わないと心に決め、澪と出会うはずのバス停、沙也佳と会うはずの大学にも行かず、一日自分の部屋で過ごした。そして迎えた2020年、社会人になった元春は大阪にいた。
スペシャルゲストとして登場した関ジャニ∞の丸山隆平が、大阪の空気を元春に感じさせるというキーパーソン(?)的な役割を果たした。登場シーンはこれだけだったが、貴重なメンバー共演となったことだろう。
仲間たちの現在
大阪の商社で営業の仕事をしていた元春は、出張をきっかけに東京へ向かうこととなる。澪や沙也佳とは会わないよう決めていたものの、やはりかつて勤めていた銀行へ足を運んでしまう。同僚だった津山は双子のパパに、親友の木山は変わらず妹のなぎさと夫婦になっていたが、前回と違ったのは居酒屋を経営せずにキッチンカーで各地を走り回っていたことだ。
そして沙也佳はチェロを続け、海外での活動経験も持つ奏者になっていた。かつては夫婦だった二人が先輩後輩という関係のまま和気あいあいと会話を楽しむ姿には、何だかこちらも不思議な気持ちで温かかった。
澪は今・・・
そして澪。あおい銀行を訪ねた元春は澪と再会。しかしこの時点では二人は全く面識のない赤の他人のはずだった。そして元春はまさかの事態に驚愕する。澪がタイムスリップした元春のことを知っていた。
それはなぜか。実は澪も元春の後を追って10年前にタイムスリップしていた。それに関しては以前の記事でも書いたように、私の予想通りだった。お互いがタイムスリップした者同士。お互いに全てをさらけ出した。そして元春は改めて澪にプロポーズ。二人は入籍し、幸せな家庭を築いた。
・・・という最終回だった。
もう、本っっ当に温かい結末だった。大倉忠義、広瀬アリスという美男美女の抱擁シーンも視聴者側まで幸せな気持ちになるようなシーンだった。アリスの涙も本当に綺麗だった。
なんて美しい最終回…、その一言に尽きる。
人生の岐路を大切に
このドラマはある一組のどこにでもいるような夫婦を描いた物語だった。たった一組の夫婦にフォーカスを当てたドラマなのだが、気づけば周りの登場人物たちにもそれぞれの物語が進んでいく。親友の木山、同期の津山、妹のなぎさ、大学の後輩の沙也佳、澪の母久恵など、メインの登場人物全員がこのドラマで色々な変化をしている。
そのきっかけを作っているのが、タイムスリップをする元春だ。元春の一つ一つの言動により、津山が双子のパパになったり、木山がバイク事故を起こさなくなったり、人生が大きく変わっているのだ。
このドラマを観て感じたのは、人の人生はほんの些細な言動から変わってしまうことがあるのだということである。人生の岐路に立たされる時というと、入試、就職、結婚、出産、などといったところだろう。私はまだその全てを経験しているわけではないのだが、第三者からの一言がこれらの岐路においてとても重要な役割を果たすことになるのかもしれない。その第三者が自分の家族になるのか、友人になるのか、職場の同僚になるのか、はたまたまだ出会っていない「誰か」になるのか、それは誰も分からない。私も早く人生を変えるキーパーソンに出会ってみたいと感じる。
元春が教えてくれた言葉
いつどこで出会うか分からない人生のキーパーソン。それはもう既に出会っているかもしれないし、まだ出会っていないかもしれない。だからこそ私は、これからの人生、一日一日を大切に生きていこうと思った。受け取り方はそれぞれだが、私はこの「知ってるワイフ」を全話視聴して、このようなメッセージを感じ取った。
自分の人生を大切に、そして周りの支えてくれる人たちも大切にしよう。そしてラストシーンで元春はこのようなメッセージを残した。
ムッと来た時、どう伝えるのか、伝えないで我慢するのか
当たり前のことに「ありがとう」を言うのか、言わないのか
何気ない時間を「愛おしい」と感じて過ごすのか、ただの日常だと思うのか
その一見小さな一つ一つの選択が、俺たちが思い描いている未来へと繋がっていく
日々の日常に感謝の気持ちを忘れず、周りの支えてくれている人たちを大切に、こういった一つ一つの些細な言動が自分たちの未来を創り上げるのだ。とても深いメッセージ性を感じる、そんなドラマだった。
「知ってるワイフ」のキャスト、スタッフの皆さま、本当にお疲れさまでした。そして、幸せに満ちた素晴らしいドラマをありがとうございました。
- アーティスト:関ジャニ∞
- 発売日: 2021/02/10
- メディア: CD
総アクセス数100pv 〜感謝〜
1ヶ月ちょい経った今の気持ち
2021年3月20日、このブログを開設して37日が経った。1ヶ月ちょっとといったところだ。
お陰さまで投稿した記事数は35記事となった。こんな素人が我流で運営しているブログだが、アクセスして頂いている方々には深く感謝させて欲しい。
ありがとうございます。
これからも自分の好きなこと、気になったことなど、とにかく自由に、自分のペースで投稿していきたい。
100という節目
そして今回このような記事を書かせていただいたのは、有難いことにブログの総アクセス数が100pvに到達した。これだけの数、このブログにアクセスしていただいているのは本当に嬉しい。他のブロガーの方々と比べたらまだまだ足元にも及ばないような数だが、100を突破できたというのは自分の中でも大きな励みとなった。また、1ヶ月以上も連日で記事を投稿出来ただけでも奇跡だと思っている。
こんな素人のブログを見てくれる人なんて正直いないだろうと思っていた。実際のところ、今でもアクセス数ゼロの日は時々ある。だが、たまにアクセス数がグッと上がる日があると、もう少し続けてみようかなと思うのである。
それも全てアクセスしていただいた皆さんのお陰だ。
ブログ執筆の習慣化
毎回1000字以上書くことを目標に続けているが、最近では2000字を超える日も出てきており、自分の中でもほんの少しだが成長してきているのかなと感じる時がある。少しずつ記事を書くことにも慣れてきて、執筆が生活の一部になりつつある。また、執筆自体が日々の生活の楽しみの一つにもなってきた気がする。
何の刺激もなかった生活を「ブログ投稿」という趣味が彩ってくれている。コロナ禍が続く中、自分の生活にほんの少しの彩りができた。
これからも変わらず記事を投稿していきたいと思っている。段々記事投稿にも慣れてきて、読者の皆さんに少しでも楽しんでもらえるような記事をこれからも書き続けていけたら良いなと思う。アクセス数も増えてきたとはいえ、まだまだ「雀の涙」ほどだ。もっといろんなコンテンツを書けるよう、日々視野を広げて、色んなことに関心を持っていきたいなと思う。
感謝、そしてこれからも…
今日の記事は文字ばかりで味気ないかもしれないが、総アクセス数100pvを超えたということで深くお礼を申し上げたい。これからも自分のペースで投稿していきたい。クオリティにムラが出るかもしれないが、そこは温かく見守っていただけたら有り難い。
今日、東北の宮城県で震度5強の地震が発生しました。皆さんの無事を心からお祈り申し上げます。
まだまだ余震の可能性もありますので、火の元なども含め、充分にご注意下さい。
記事とは関係ないが、最後に昨年行った平等院鳳凰堂の写真を載せておこう。
こうして自由に旅を楽しめる日が1日でも早く来ますように…
万年筆で新たな発見を
たまにはちょっと渋めの贈り物を
皆さんは万年筆を使ったことがあるだろうか。
因みに私は残念ながら無い。
私はこの度、知人の誕生日ということで誕生日プレゼントを買いに行った。そこでたまたま見つけたのが万年筆だった。
万年筆の歴史
万年筆はその名の如く、一生使用することができるモノとして長年愛され続けている。万年筆を最初に特許として取ったのはイギリスである。1809年に、フレデリック・バーソロミュー・フォルシュが取得した。
そして万年筆が日本に入ってきたのは1884年で明治時代まで遡る。横浜のバンダイン商会というところが輸入し、東京・日本橋の丸善などで販売された。この「万年筆」という名を付けたのは、1884年に初めて国産万年筆を模索した大野徳三郎と言われている。(当時の名は「萬年筆」)
日本の万年筆製造は第二次世界大戦後に盛んになり、1940年にはピークを迎えている。
私が購入した万年筆
今回私が購入した万年筆メーカーは、「ウォーターマン」という、フランス・パリのスタイルを体現したメーカーのメトロポリタンエッシェンシャルという商品だ。
ウォーターマン公式HPはコチラ↓
このウォーターマンという万年筆メーカーは、世界で初めて毛細管現象を利用したペン先を開発し、それを万年筆に取り入れたメーカーだったそうだ。あの万年筆独特の菱形のようなペン先は、このメーカーによるものだったのだ。
因みに毛細管現象というのは、細い管状物体(毛細管)の内側の液体が管の中を上昇する物理現象である。
初万年筆 -First Impression-
私自身、全く万年筆の知識が無かったのでほとんど店員さんに頼ったのだが、素人の私が見ても鮮やかで美しいデザイン性、滑らかな書き心地があり、すぐさまこの商品に決めた。とはいえ本音を言えば、期間限定で貰えるペンケースが欲しかったのだ。だがデザイン性や書き心地に関しては嘘では無い。本当に良いと思ったから買ったのだ。
出費はかなり痛かったが…、きっと喜んでくれると信じるとしよう。
令和に万年筆ブーム到来
そもそもなぜ、誕生日プレゼントに万年筆を選んだのか。自分で言うのも何だが、非常に渋いチョイスである。
ここ数年、「万年筆ブーム」が起きているのだという。一見、万年筆といえば重厚で敷居の高いイメージがあっただろう。しかし現在では、よりカジュアルでオシャレな万年筆が市場に流通していることから、いい意味で比較的ハードルが下がってきているのだ。そう考えると今回私の購入した万年筆は、ちょっと重厚感がありすぎたかもしれない…。まあでも、年に一回の誕生日だ。少しくらい気合を入れた一品をプレゼントするのも悪くないだろう。(…と、勝手に自分で正当化してみたが)
後で色々調べてみると、本当に1000円くらいのものから、国内メーカーのものであれば300円台のものもあった。
…驚いた。
まあ良い。せっかく買ったのだから自信を持って渡す。それだけだ。
また、万年筆特有のインクがブームの理由の一つだという。私も含め、現代人にとってインクをつけて文字を書くという書き方は非常に新鮮で、非現実的な体験ができることから万年筆の人気が高まったのだろう。
また、今の万年筆にはインク一つにしても色々なカラーバリエーションがあり、今までは面倒だと言われていたインク交換が、現在では逆に楽しみの一つとして受け入れられているようだ。
万年筆ブームの理由について銀座の伊藤屋が述べた記事がある。それがコチラだ↓
「書く」という新しい発見
私は今回、試し書きで初めて万年筆というものに触れた。ボールペンやシャープペンシルとは違った独特な書き心地がとても新鮮だった。
こうやって、今まで触れた事のなかった世界に一歩踏み入れてみることも悪く無いのかもしれない。その中に新しい発見や出会いがあれば、自分のこれから先の人生も少しは魅力的なものになるのではないだろうか。
そして私は今日、「書く」ことの楽しさに改めて気づくことが出来た。
皆さんも是非、「万年筆」で新しい発見をしてみてはいかがだろうか。
参考:Wikipedia
私が英会話に励む理由
今日は週に一度の英会話スクールに行ってきた。
そう、私は英会話を習っている。
もうかれこれ一年半程経つが、上達してるかどうかは、…正直分からない。
だが、そんな私が社会人になってから英語というものと向き合い始めた理由を今日は綴っていきたいと思う。
なぜ私は英会話を学ぶのか?
私が英会話をする理由は大きく分けて3つある。
諦めていた自分はもういない
まず一つ目は、学生時代の後悔を晴らす為だ。私は大学時代、勉強、アルバイト、サークル、この3点が生活の中心軸だった。(勉強に関しては、少し怪しいが…)その中に英会話という選択肢は残念ながら無かった。いろんな要因があるが、今思えば、自身の吃音症を言い訳に避けていた部分があったのかもしれない。私の大学には、よく大手英会話スクールの社員さんが訪れて構内で学生たちを勧誘していた。だが当時の私にとってそのような人たちは、街中で見かけるティッシュ配りのお姉さんと何ら変わりはなかった。
「自分には無理だ」
「吃音の自分に英会話なんてできない」
勝手にそう決めつけて、はなからやる気がなかったのだ。
勿論、留学なんてもっての外だ。同級生の中にも留学を経験している人はいたが、自分がそれをしようとはとてもじゃないが思えなかった。自分にはできないものだと勝手に区別していた。
社会人になった今、その事を物凄く悔いている。留学だってやりたくて仕方がない。何でも自由の利く20代、学生時代の後悔を全力で取り返してやる!と決めて私は英会話スクールの門を叩いたのだ。
仕事でも役立てたい
もう一つの理由は、社会人としてのスキルアップの為だ。
私は正直言って英語の成績は中の下くらいだ。TOEICも受けたことがあるが、人に言えるような点数ではない。就職活動でも全く役に立たなかった。
今の仕事の中で、英語を使う機会はハッキリ言ってそんなにない。だが以前の記事でも述べた通り、私は今の自分の現状にはほとんど満足していない。このまま何も動かなければ、何も変わることはできない。年功序列が当たり前ではなくなった今、兎に角動かねばならない。その一環として、私は英語力の向上を目指すことにしたのである。
「もっと話したかった」という後悔
3つ目は、コミュニケーション能力の向上だ。
これも大学時代の話になるのだが、私の所属していた研究室には外国人留学生が数名所属していた。一人は日本滞在歴も長く、驚くくらい日本語の上手な方だが、他の留学生たちは来日したばかりでほとんど日本語が話せなかった。当然、当時の私も英語がうまく話せず、というかそもそもコミュニケーション能力が無く、同じ研究室にいながらもほとんどまともに話すことはできなかった。それを私は今でも後悔している。
今考えてみれば、こうやって身近に外国人と交流できる機会など滅多にない。貴重な時間を無駄にしてしまったことが私にとっての心残りだった。その為に今から英語力を鍛えて、いつかどこかで外国人の方と交流した時、ちゃんとコミュニケーションがとれるよう勉強しておきたいと思ったのである。
また私には、いつか海外で一人旅をしてみたいという夢がある。コロナ禍となった今、それはいつ実現できるのか不透明になってしまったが、いつでも出発できるようにしっかりと準備をしておきたい。
葛藤 ー英会話×吃音ー
英会話を勉強する理由を3点述べたが、実際のところ私の現状はどうなのか。
冒頭でも述べた通り、英語力自体が向上しているかどうかは正直なところ自分ではあまり分からない。だが、社会人になると学生の頃と比べて英語を耳にする機会がグッと減る。外国人と話す機会もかなり減った。なのでその分、英会話で毎週英語を耳に入れ、外国人の講師と話す機会を持つことができたのはかなりありがたいことだ。
しかしその分課題も多い。大前提として私は吃音症だ。だから最初の一歩を踏み出す時はとても悩んだ。大学時代は最初から諦めていた為、気にも留めなかったが、いざやるとなると、やはり吃音がよぎる。なので私は初めにオリエンテーションの時に正直に吃音であることを告白した。迷惑をかけるかもしれないがよろしくお願いしますと潔く伝えた。
すると担当のカウンセラーさんは案外すんなりと受け入れてくれた。
「大丈夫ですよー」と。正直、私の内心では「本当かな…」と少し疑ったが、こうやって一年半続けられているのは、カウンセラーさんや外国人講師の方々のお陰だと思う。とはいえ、続けていく中で吃音の壁が立ちはだかることも少なくない。一時期スランプに陥ったこともあった。(実はここ数ヶ月ほどのことなのだが…)しかし、最近少しずつ調子を取り戻しつつある。私がうまく話せたときは講師の先生も褒めてくれる。それが私にとっての励みになり、英会話を続ける原動力にもなる。
夢を実現するために
本当に良い世の中になった。それに大手のスクールであるだけあって、私のような人間でも続けていけるようなサポート体制は本当によく整っている。コロナ禍の中でも、Zoomを使ったレッスンも受けることができる。カウンセラーさんや外国人講師の方々も、生徒一人ひとりに対し、全力で応援してくれる。
小学生の英語教育が必修となった今、これからも私は英会話を続けるつもりだ。いつかどこかでこの能力が発揮できるように、もう諦めない。大学時代の忘れ物を取りに行こう。
暦の上では春である。
2021年、春を迎える
3月も半ばに差し掛かり、だんだん春の暖かさを感じるようになった。
ついこの前、暫く会っていなかった大学の同級生から久しぶりにLINEが来た。彼は学部を卒業後、同じ大学の大学院に進学し、私とは別の道へ進んでいた。そんな彼が、この春めでたく大学院を卒業することとなった。また就職も決まり、新しい人生の始まりを迎えることとなった。LINEの内容は、その報告だった。
大学時代はよくご飯を食べに行ったり、旅行に行ったりする仲で、今年の大学院卒業祝いに何か彼のためにしてあげたかったのだが、新型コロナウイルスの影響で会いに行くことはできなくなってしまった。私が今住んでいるところは通っていた大学とは遠く離れた土地の為、このコロナ禍の中、あまり気軽に行くことはできない。長い間会っていないだけに、非常に悔やまれる。
だが、久しぶりに連絡をとれただけでも率直に嬉しかった。
3月は卒業の季節だ。毎年この時期になると、自分の中でも色々と感じることがある。
自分自身は何も変わらなくとも、周りの人の環境が変わったり、家族の環境が変わったり、こういった節目節目を肌に感じるのは割と好きな方だ。
私の2019春 ー新元号と共にー
振り返ってみれば、私が社会人デビューした年の春は、日本全体でも大きな変化を迎える瞬間だった。
新元号への移り変わりだ。
丁度、入社式の日に当時の菅官房長官(現 菅総理大臣)が額縁を掲げ、初めて「令和」の二文字を宣言した。当時、入社式前の昼休みで新入社員たちがこの話題で盛り上がっていたのをよく覚えている。社長挨拶には勿論新元号発表の話題が出た。
私が入社して一年後に新型コロナウイルスの猛威がやってきた。緊急事態宣言の発令、外出自粛、時短営業…。世の中全体が大きく変わってしまった。あれから一年が経ち、ワクチンが開発されたりなど、少しは進歩したかもしれない。しかし、まだまだ収束までは程遠い。
早く遠く離れた大学時代の友人に会いに行きたい。お酒の場で沢山話したい。
心の底からそう感じている。
2021年春の目標
話を戻すが、春を迎えるにあたって自分としても何か目標を立てたい。
まずは、先月から開設したこのブログを継続させることだ。
ブログ開設から一か月以上が経ち、ほぼ毎日投稿を続けている。(一日だけ穴を空けてしまったが…)ここから何日、毎日投稿を続けられるか分からないが、これからも自分のペースでやっていけたらと思う。内容も特にジャンルを定めず、その日その日で書きたいことを書いていこうと思う。このスタイルは維持していきたい。
そして、資格の取得だ。
過去の記事の中でも紹介したが、私は現在エックス線作業主任者試験の勉強中だ。まだまだ勉強真っ只中だが、少しでも早く万全の状態に持って行って一発合格を目指したい。コロナで外出が減っている今だからこそできる最高の自己啓発だ。
さらに読書にも引き続き取り組んでいきたいと思っている。
社会人になった一昨年から読書を本格的に始め、今までは主に小説を乱読していた。活字を読むのにも大分慣れてきたので、これからはさらにジャンルを広げ、ビジネス書やエッセイなどといった他ジャンルの書籍も読んでみたいなと個人的には考えている。
最高の春を迎えるために
冒頭でも述べた通り、暦の上ではもう春だ。
季節の変わり目で体調を崩しやすいため、皆さんも体には充分に気を付けていただきたい。今回の記事はかなり内容が薄くなってしまったので、最後に最近ハマっている曲の歌詞を載せておくとしよう。この春新しい環境に身を置く方、新しい挑戦をしようとしている方へ向けての言葉となれば幸いだ。
たった一瞬の このきらめきを
食べ尽くそう二人で くたばるまで
そして幸運を 僕らに祈りを
まだ行こう 誰も追いつけないくらいのスピードで
稲妻の様に生きていたいだけ
お前はどうしたい? 返事はいらない
ー「感電」(2020) 米津玄師ー
コロナ禍の中、新しい一歩を踏み出すのは難しいかもしれない。だが、ここでじっとしているのではなく、この環境下でできることを探して、2021年春、最高のスタートを切れるよう共にがんばりましょう。
きょうは「推し」で会社休みます??
会社規定に新たな文化が・・・
昨日、職場の先輩と世間話をしている中でこんなワードが出てきた。
「推し休暇」
皆さんはご存じだろうか。
ちなみに私は初めて聞いた。
それは「ひろろ」という企業の代表、鶴見至善氏が考案した勤務規定だ。アイドルや声優のファンが、自分が特に応援しているメンバーを指す言葉として「推し」という単語が最近よく使われている。その所謂「推しメン」に関するユニークな勤務規定を新設したとしてSNSで注目を集めているという。
推し休暇とは?
そんな「推し休暇」とは一体どういった制度なのか。
具体的な中身としては、
- 推し本人が結婚する場合、10日間の有給休暇が取得可能
- 推しが卒業する場合、一押しの場合10日間、二推しの場合以降の場合3日間の有給休暇が取得可能
- 推しのライブ、イベントがある場合、1週間前までの申請で早退、必要日数の休暇が取得可能
などといった規定が紹介されていた。
何だかものすごい時代になったものだ…。まだ社会に出て日が浅い私だが、子供の頃想像していた社会とはすっかり変わってしまった。これを今の団塊世代の人たちが聞いたらどう思うのか、個人的には気になる。恐らく、ポカンとすることだろう…。
SNSの反応は・・・
SNSの声を聞いていると、意外にも賛同の声が多い。「ホワイト企業」「ウチも導入してほしい」という声が多く見受けられるのだ。
慶弔休暇の概念が大きく変わった。身内でもなければ友人でもない、「全くの赤の他人」の結婚、卒業により有給をもらえるというのは、よくよく考えてみれば確かに信じられない。
「赤の他人」の事情で仕事を休むことができるのといえば、「天皇誕生日」くらいではなかろうか。
「推し」が与える影響
そもそも「推し」は必要なものなのか。正直、必要ではない。別に推しがいなくても死にはしない。
ちなみに私は特に自分の「推し」というものについて考えたことは無い。ライブやイベントに参加したり、グッズをかき集めたりするほどの熱狂的なファンになったことは無い。勿論好きな芸能人はいるが、あくまでもテレビを観て「綺麗だな~」「カッコイイな~」と思う程度だ。
強いて言うならば、過去にもこのブログで紹介したことのある「嵐」や「関ジャニ∞」だろうか。
なので私は、「推し」を持っている人たちの気持ちは正直分からない。だが、自分の大好きな人が人生の節目を迎える時、やはり応援してきた身としては感慨深いものがあるのだろう。それが心から祝福したいという気持ちなのか、寂しくて辛いという気持ちなのかは人それぞれだが。一人のファンとして様々な思いが交錯することには間違いない。
芸能人の人生=他人の人生だ
私は以前、嵐の二宮和也のおめでたに関する記事を書いた。その時私は彼のことを心から祝福した。私にとってニノは身内でもなければ友人でもない。ただのファンの一人だ。全く面識のない人物に対してなぜこのような気持ちが湧くのか、少し自分なりに考えてみた。
ただ単にテレビの前で応援していた人だからだと言ってしまえばそれまでだが、芸能界には「好感度」というものが存在する。結婚報道一つにしても、全ての芸能人が祝福されるとは限らない。例えば、一昨年の南海キャンディーズ山里亮太と女優の蒼井優夫妻の結婚だ。まるで「美女と野獣」のようなカップルだったが、これには国民が祝福した。これには二人の好感度も勿論のこと、キューピット的な役目を果たした山里の相方、しずちゃんの力もあるだろう。
一方で、2011年に結婚した加藤茶と綾菜夫妻。現在は良き年の差夫婦として人気だが、結婚当初は数々のバッシングを受けていた。45歳という信じられない年の差から「遺産狙い」と言われたりなど、本人たちもさぞかし辛かったことだろう。
このように「推し」とは少し違う例え方になったが、芸能人の人生の節目というのは「良い評価」もあれば「悪い評価」も少なからず出てくるのだ。だが世間の評価が良かろうが悪かろうが、結局は「赤の他人」の出来事に過ぎないのだ。
私の考える「有給休暇」とは
結局何が言いたいかというと、芸能人の結婚や卒業一つで自分の大事な有給を使うのはどうなのだろうか、というのが私の率直な本音だ。勿論、アイドルや声優を全力で応援すること(ヲタ活)自体を否定しているわけではない。しかし面識のない赤の他人ではなく、もっと身近な家族や友人、はたまた自分の為に有給というものは使うべきではないかなと思う。
今回、この会社規定を提案した鶴見氏の考え方が真っ向から間違っているとまでは思わない。これはこれで非常にサービスの利いた、社員にとって寛容な制度だ。だがその反面、あまりその制度に依存しすぎる社員が増えてしまうと、企業としても人としても信頼を失ってしまわないか、少し心配である。
だが、日本にはこのようないろんな会社が存在し、「推し休暇」のようなユニークなルールが掲げられているのを見ると、個人的には面白いなとは思う。(傍から見る分にはだが…)
10年後、20年後…、日本の企業にはまた新たにユニークな会社文化が出来上がっているかもしれない。
ちなみに本記事タイトルはコチラのドラマと掛けてみた。↓(ちょっと無理があったか…)